無二無二2017、第65回 東京藝術大学 卒業・修了作品展

久しぶりに日記を書きました。久しぶりなので上手くまとまっているかどうかは分かりませんがご笑覧いただければ幸いです。

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東京藝術大学油画専攻3年生展覧会「無二無二」

www.tokyoartbeat.com/event/2016/34B3
munimuniofficial.wixsite.com/2017
場所:3331 Arts Chiyoda
会期:from January 07, 2017 to January 15, 2017

3rd Year Students of Oil Painting, Tokyo University of The Arts “Muni Muni” 3331 Arts Chiyoda

毎年、アーツ千代田3331で開催される東京藝術大学3年生の進級展。彼らにとって初めての美術館での展示になることが多いでしょう。東京藝術大学教授でもある中村政人さんがミュージアムを運営されていることによって可能になる展示です。こうした活動は応援してきたいですね。

さて、知っている作家もいれば、知らなかったけれどいい!と思った作品もありました。まずは知っていた作家から。

好川翔太郎くん。多浪生らしいおじさんみたいな見てくれがカワイイです。学園祭では、仏教のお葬式で使う祭壇のような設えに、窓辺に寝そべる女性の絵画が掲げられており、さらにその上からプロジェクション・マッピングでギラギラと照らす作品を展示していました。作家の話を聞こうと展示終了時間の17時に会場に戻ってみると、すでに帰宅していました。学園祭なのに、17時ちょうどに帰宅するあたりにも興味をそそられた作家です。今回の展示では、ドローイングの中に突然生まれてしまった一つ目のキャラクターをもとにゲームと絵画、プロジェクション・マッピングを組み合わせた作品でした。まだ作品のコンセプトや方向性がバラバラしています。いろいろなことができる技術のある作家なので、どの武器を選択するかによって今後の作品はかなり変わってくると思いますが、どれだけ伸びるか、あるいは何を捨てて、何を武器に選ぶのか、楽しみな作家です。

続いて、内村覚くん。藝祭では「エンドレスロール」というタイトルで、本編のないエンドロールがひたすらループで再生される映像作品でした。ぱきっとコンセプトを見せる粋な技術が光ります。今回の展示では、画壇系の人体彫刻を作りたかったそうですが、失敗でした。発泡スチロールで作られた素朴な人体彫刻は奇妙な存在感を放っていましたが、本当は違う素材で作る予定だったそうです。なかなか間に合わないこともありますよね。学生のうちはどんどん失敗すればいいと思います。でも、来年の卒業制作展では失敗していない作品を見せてほしいです。

続いて、新しく知った作家を2名。

藤岡理奈さん。銅板で囲われた矩形の中心に青い鏡がはめ込まれています。ただそれだけの作品ですが、展示場所が素晴らしい。3331の四方八方真っ白な空間は非常に展示が難しいのですが、彼女は小さく空いた出入り口の正面にこの作品を展示していました。the自撮りスポットです。もうちょっと現代美術っぽく言えばもの派のように関係性が入り乱れる作品と言えるでしょう。おそらくストレートに制作面から考えてこうした形に行き着いていると思いますが、次は現代性を強調するとよいかと思いました。場所によって変化する作品が作れる作家だと思うので、とにかくたくさん展示をして欲しいと思います。

最後に、宮本瑛未さん。もともと倉庫として使われている空間を暗転させて、無数に吊るされたぬいぐるみの上に、複数のプロジェクターから映像を投影する作品。どうやら生死がテーマらしく、前世から来世が映像と造形物で表現されています。本人に聞いたところ、遺伝子について考えていたらしいのですが、表面的にはちょんまげのゆるキャラが出てきたりしていて、ほとんど意味不明です。でも、たしかに一つのコンセプトが全体を貫いていることが分かる。ぐいぐいと観賞者を引っ張っていくパワーは演劇的とも言えます。彼女は革命アイドル暴走ちゃんという演劇グループの演出も担当しているらしいので、今月末に見に行くことにしました。

この学年の学生は、取手校舎にいる1年生のときに、一緒に一つの建物に住んで、共同制作、共同展示をするプロジェクトを行っていたそうです。いわゆるシェアハウスですね。具体的に何をしていたのかはほとんど情報がないのですが、この行動力はすごいと思います。シェアハウスの経験があったからか、みなそれぞれに他の学生と違うことをやろうとう気概がある。そして、オープニングパーティーで寸劇をするような、楽しむ姿勢もある。健康的だと思いました。でも、アートには不健康さも必要だと思うので、健康にコミュニケーションしながら、不健康な思考を磨いて欲しいと思います。卒展で見られることを期待しております。


第65回 東京藝術大学 卒業・修了作品展

www.tokyoartbeat.com/event/2017/4F6A
会期:from January 26, 2017 to January 31, 2017 at 12:30
会場:東京藝術大学 上野キャンパス

65th Tokyo University of the Arts Graduation Works Exhibition Tokyo University of the Arts, Ueno Campus

東京藝術大学の卒制展です。20代のときには、ムサビやタマビ、造形大の卒展にも行っていましたが、さすがに疲れてきました。藝大は近いので行きます。東京での展示では、場所がすごく大事ですね。海外の都市は比較的小さいし、ギャラリーなどもまとまっていますが、東京は展示場所が点在しているだけでなく、都市が広いんですね。そこが面白さでもありますが、30代にはなかなかキツイのです。藝大以外のみなさんごめんなさい。

さて、まずはご存知、布施琳太郎くん。外部での積極的な活動でいまもっとも有名な芸大生と言っても過言ではないでしょう。昨年、”iPhone Mural”という彼の企画があまりにもひどかったので(作品はいいものもありました)それ以来、ツイッターもリムーブしたりして距離を置いていたのですが、今回の展示は琳太郎らしさが出ていました。テーマというテーマはないでしょう。そもそも彼が外部で山ほど展示ができるのは、拘りや切迫したテーマがないからだと思います。それは弱さにもなりますが、強さにすることもできます。今回はうまく機能していました。というのも、作品のモチーフがほぼすべていま付き合っている彼女なんですね。彼に聞いたところ「有名な作家ってみんな自分の好きな女性を描いているじゃないですか。」ということでした。いいですね。この軽さ。インスタレーションはもともと上手いので、シンプルにとても見やすかったです。ただし、あるギャラリストが彼の作品を指して「展示がみたいんじゃないんだよ。作品が見たいんだよ。」と言っていたとおり、次は作品を作らなければいけません。それは絵画だとぼくは思っていますが、どうなるでしょうか。そろそろ展示を圧縮した作品を作らなければアーティストとしては生き残れないでしょう。しかし、少なくともそう期待できるところまで来ています。いよいよ勝負どきです。

次に楊博くん。ぼくは中国語読みでヤンボーと呼んでいます。彼は琳太郎くんとは逆に、極めて軽快に見える作品でありながら、考え尽くすタイプです。熱くてドロドロしている。デヴィッド・ボウイが亡くなったことを受けて、生きているイギー・ポップに見てもらうために作品を制作したといいます。4メートルくらいの矩形のキャンバスに「HEY MR IGGY POP HEY HEY HEY HEY」と緑の絵の具で殴り描きされています。学生時代にノートの表紙に書きつけた憧れのスターが歌う歌詞の一片。彼が語りかけてくれるように感じる瞬間。彼がぼくを見ているという妄想。彼と同時代を生きていることへの興奮。巨大な木枠に暴力的に張られたキャンバスのぎりぎりの緊張感。パワーコードしか弾かない誇り。パンク好きなぼくも共鳴してしまいました。ただし、まだまだ未完成。彼は大学院に合格しないと中国に送還されてしまうので、絶対に合格させてあげてください!まだまだ作品を見続けたいですね。

続いて、武田麻利絵さん。黒い立方体の一部に四角い穴が空いています。そこには色が付いています。近づいていみると、絵の具はまだ乾いておらず、モーターで循環させられ、流れ続けていることが分かります。タイトルは「paint」。キマっていますね。タイトルのpaintは絵画を意味するpaintingではなく、あくまでpaint。動詞です。抽象表現主義にもミニマリズムにも引きつけて論じたくなりますが、ここでは卒制ということで、彼女が絵画を描き続けるという宣言であると受け取りましょう。キメキメの手際と確かな技術。クールでありながら、驚きもある。不気味さもある。ただし、やや古典的ではあります。今後の作品でどう突破していくか。楽しみです。

そして、はなぷさ的首席の菅野歩美さん「右目から入り左目から出ていく」。インスタレーションとして複数の作品が展示されていますが、メインの作品は、体重計です。ダンボールで作られた、空港の金属探知機のような造形物のあいだを抜けると、本人には見えませんが、横にいる人にだけちらっと体重が見えます。金属探知機のように見えて、ただの体重計なんですね。「通る人の体重をチラ見せさせるゲート」というタイトルの作品だと思われます。どうやら横に吊るされた石の重さもカウントされているようで、入るときと出るときの体重に差が出るようになっているそうです。見た目はしょぼいのですが、コンセプトが素晴らしい。われわれは日常生活の中で気づかないうちに数値化されています。このブログも文字通り数値化されています。コンビニで物を買うときには年齢がカウントされています。美術館では監視員がカウンターをカチカチと鳴らしています。自分では見れないけれどわれわれは数値化された存在です。このような現代の日常をシンプルに表象しています。加えて、タイトルからは記憶の問題がテーマとされていることも分かります。わたしたちがいま見ている世界は記憶をもとに脳が処理した世界です。いま見ている世界は過去の記憶から作られているのです。同時に、いま見ている世界は認識はされていないけれど、未来の世界認識の素材なのです。不思議ですね。たぶん、この感覚を彼女は理解できている。それを「右目から入り左目から出ていく」と表現する。勘かもしれません。しかし、そこまで深読みさせるだけの作品ができています。以上の理由から彼女がはなぷさ的首席として、迷惑かもしれませんが、勝手に賞をあげたいと思います。

あと3名について、簡単に触れておきます。

内藤京平さんの絵画作品「生き地獄」。ルネサンス期を思わせるタッチで描かれた顔に炭(?)で引かれた首が異様に長く伸びています。線と色、パースペクティブなど絵画の問題を正面から捉えていると思います。いくつか展示されていた作品のうち一つは、目に指が突き刺さっているように描かれていたので、「視る」ことにテーマがあるのかなと思いました。

ここからは彫刻科です。

純浦彩さん。荒く掘られた木彫のヴィーナス、天使、そしてスーパーマンの格好をした赤ちゃん。三美神のように展示されていますが、ぜんぜん美を象徴しているように見えない。ところがすでにひび割れ始めた木彫群を見ていると不思議と過去の人々はこの三美神に美を見出したのだな、と感慨深くなってしまう。時間を超えるものを作れていると思いました。これらの作品は鹿児島の離島に恒久展示したいと言っていました。いいアイディアですね。ぜひ実現してほしいと思います。

渡辺志桜里さんは、巨大なアクリルケースに白いゴムボールを敷き詰めLEDライトで煌々と照らしています。観賞者は中に入って、ゴムボールの圧力に抗しながら進むことを強要されます。とても彫刻科らしい作品だと思います。立体物は表裏があるので、全体を一望することはできません。その点に彫刻が彫刻と呼ばれる所以があるわけですが、その全体をつかむには空間を理解する必要があります。要するに、彫刻は空間把握の技術なんですね。それを身体的に経験させる装置としてよい発想だと思いました。彼女は、わたしたちが生活するさいに強制的に与えられる空間の不完全性に苛立ちがあるのかもしれません。

根本祐杜くんは、アーティストコレクティブじゃぽにかが運営する通信塾の生徒です。たぶん。破壊された食卓があり、奥には犬を入れておくケージが高く積まれています。今回のテーマは農夫でしょうか。農業には生と死がつきまといます。わたしたちの食卓も生と死が混在する場所です。外部のものを内部に取り入れたり、内部のものを外部に排泄したり。わたしたちの食卓は、わたしたちの人生のように演劇的なドラマがあるでしょう。いや、なんの演劇性もなく、ただ飲食と排泄だけを繰り返すだけかもしれない。でも、そこにドラマを読み込んでしまう。積まれた犬用ケージの上に鎮座する悪魔が高みの見物をしています。

岡本太郎賞で敏子賞を受賞した折原智江さんは、お線香で盆栽を作りました。岡本太郎賞では、実家が経営する煎餅屋の煎餅でお墓を作っていましたが、今回のテーマも死ですね。オリジナルの線香を作って、何キロも焼いて灰を作ったと聞きました。死をそのまま死として表象すること。彼女は文明を持ってから人間が排除してしまった死を、現代的な方法で生の中に復活させようとしているのではないでしょうか。死を受け入れる方法の提案。太郎賞の展示では分かりませんでしたが、アイディアも広がりがあり、これからもどんどん作れる作家だと思います。海外に行くそうですが、必ず有名になると思うので、今のうちにたくさん見ておきたいですね。

日吉智子さんの「里親募集」は、木彫で同じ形のネコを作り、様々な色に塗っています。固有名。無名性。親子関係として表現される動物(ペット)と人間の関係。一列に並んだ同じ形の色違いの猫は可愛いように見えて、異様でもあります。ぼくは犬派ですが、猫派の感覚が分かるような展示です。

先端芸術科の山田愛さん「身体をなくしたものが、ここに在るために、」。枯山水のようですが、石はまっすぐに整列させられています。それぞれの石は違う場所から拾われてきたもののようです。驚くべきことに、枯山水のようにバラバラに点在しておらず、整列させられているとものすごく違和感がありました。ストーンサークルの直線バージョンとでも言いましょうか。プリミティブな魔力を感じました。

こうやって書くとたくさんいい作家がいすぎて大変ですね。ぼくの経験上は、という留保付きですが、日本の作家のレベルは世界一だと思います。あとは、作り続けること、成長し続けることが重要です。そのためには、わたしたち観賞者側の力も必要でしょう。ぜひ、これからもいい作品を見せてください。

ということで、今回触れなかった方も、卒業、修了おめでとうございます!