新宅睦仁個展『カップヌードルの滝』について

以下のテキストは新宅睦仁個展『カップヌードルの滝』(HAGISO,2015/9/8-9/27)での対談「食とアートのくされ縁」のために書かれたものです。ポリティカルに問題があるので、公開していませんでしたが、せっかくなので投稿しておきます。何卒、ご理解の上、お読み頂ければ幸いです。

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photo by HANAFUSA Taichi

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対談「食とアートのくされ縁」に寄せて

新宅睦仁「カップヌードルの滝」はすべてセックスの隠喩である。
拍子抜けするほど当然のことを書いてしまった。しかし、私たちはここから再出発する面倒な作業を強制されている。

カップヌードルが一般に普及したきかっけは、各世帯にカラーテレビが行き届いた1972年のテロ「あさま山荘事件」の際に、テロリストと向き合いながらカップヌードルを食べている機動隊員の姿が生中継されたことだと言われている。[★1]事件を起こした連合赤軍が革命を志向しつつ、極めて封建的な組織であったことはよく知られている。後に明らかになるリンチ殺人は、主要メンバーの永田洋子の女性性に由来すると言われることも多い。[★2]あるいは、連合赤軍だけでなく全共闘自体が、集団ヒステリーだったと考えてもよいだろう。[★3]
ヒステリーを起こすオンナと、それに対峙するオトコたち。カップヌードルのCMで何かとマッチョなオトコたちが、フォークを使って、ズルっとヌードルを啜っているのは、カップヌードルがそもそもオトコのものだったからである。(PCとしては正しくない表現を使わざるをえないことをご理解いただきたい。)

オトコらしいカップヌードルを女性化すること、これが新宅の戦略だ。

新宅のカップヌードルはいつも弱々しい。縦長の筒に入った立体的なカップヌードルは、ゴツゴツとした絵の具で塗るにふさわしい。しかし、新宅はふにゃふにゃした画用紙に、半透明の水彩で、ぐにゃぐにゃとした麺を、サラサラと描く。画用紙の純白は貞操の、水彩の半透明は粘液の、麺のぐにゃぐにゃは欲望の、そして筆致のサラサラは髪の毛の隠喩であることが明らかだ。(経血がないことに新宅の欲望が現れている。)

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photo by HANAFUSA Taichi

今回の個展では、5万膳の割り箸を敷き詰めた滝壺に、5メートルの巻物に描かれた麺が垂れ下がっている。滝壺は胎内の象徴だ。そろそろ、性的な話も嫌になってきたが続けざるをえない。巻物はフニャチン(これが作家のシンボル!)、割り箸は女性器である。

割り箸?なぜ、カップヌードルのCMでは、いつもフォークが使われているのだろう。先に述べたように、カップヌードルはオトコのものだった。ならば、当然使う道具は、具を刺すフォークに決まっている。しかし、一体どれほどの人が、カップヌードルを食べるときにフォークを使うだろうか。(フォークの使用は白人への憧れでもある。)具を刺す安定性と、麺を挟む不安定性。私たちは、いまカップヌードルを愛撫し続けている。 橋本環奈は貞操を守るために永遠とフェラチオを続ける。(「もう全部かわいい♡STAY HOT」)そして、射精を宙吊りにされたフニャチンを愛撫し続けてくれるアイドルこそが「ヒーロー」だ。それ以外は、勃起できないコスプレじじいの梅宮辰夫だけだ。(「いいぞ、もっとやれ。」)そう、新宅はフニャチンコスプレじじいなのである。その象徴が、刺すことも挟むこともできる使い捨ての割り箸なのだ。

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これ以上、セックスの話はしたくないので、オトコらしくバシッと結論を書いて筆を収める。

新宅の欲望は、胎内での射精である
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去勢された囚人は、生きたまま刑務所所長ビル・ボスの腎臓に射精した。しかし、それは、オフィスの床で昼寝をしていたビル・ボスの背中に焼きつくタバコの熱がもたらした夢だった。(『ムカデ人間3』参照[★4]

2015/09/11 花房太一

References

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