現在戦争画展、urauny

2016/08/06のブログです。

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現在戦争画展

■場所:TAV GALLERY
■期間:2016/08/05〜2016/08/28
http://tavgallery.com/sensouga/

現在戦争画展

昨夏の「現在幽霊画展」につづいて、今夏は「現在戦争画展」が同じく笹山直規によって企画された。参加作家は以下の通り。

会田誠、亜鶴、エザキリカ、遠藤一郎、岡村芳樹、金藤みなみ、桜井貴、佐古奈津美、笹山直規、じゃぽにか、白藤さえ子、谷原菜摘子、TYM344、戸泉恵徳、中島晴矢、中山いくみ、根本敬、ハタユキコ、林千歩、藤城嘘、布施琳太郎、牧田恵実、李晶玉

総勢23名。年齢も作風も統一性はない。展覧会名もとくにコンセプトを打ち出すものではないようだ。よって、アート界という地域の夏祭りのようなものである。どちらも、背筋がぞっとするようなテーマということで、熱帯と化した東京の夏にぴったりの企画である。ただし、参加作家はほとんどが個展を経験しているので、総じてレベルは高い。キャッチーなだけで曖昧な展示タイトルと作家選出を事前に見て、わたしのようなひねくれ者は批判する気満々で会場を訪れたのだが、作品はそれぞれよくできていて批判する気にはなれなかった。それどころか、そこそこ満足してしましまった。

個別の作品については後から書くことにして、まず全体について見ておこう。

今回は基本的に新作が展示されている。写実的な絵画を依頼されたという話も聞いたが、詳細は知らない。ただ、全体的に写実的な絵画作品がほとんどを占めていたことは事実である。

昨年から、国際平和支援法案と自衛隊法改正案などを含む平和安全法制整備法案が戦争法案などと呼ばれて、安倍政権を批判する運動が盛り上がった。アート界でも政治熱が高まった。それ以前から安倍政権の締め付けがアート界にも影響していたことは事実だ。[★1]■会田家檄文撤去騒動
美術館はだれの場所?『ここはだれの場所?』展の会田家作品に撤去・改変要請
会田誠・会田家の作品撤去・改変騒動から考える、美術館と子どもの問題
会田誠さんの撤去要請された作品「檄」は何を訴えているのか(全文)
※その他にも多くの記事があります。検索してみて下さい。
■Chim↑Pom「耐え難きを耐え、忍びがたきを忍ぶ」展
http://chimpom.jp/artistrunspace/10thann.html
これに対抗する展覧会が開催されたりもした。[★2]MOTアニュアル2016 キセイノセイキ表現の自由を守るために戦ってるそうだ。わたしも興味がないわけではない。というか、ほんとうは深い関心を持っている。だから、アート系のオルタナティブスペースで開催されていたSEALDsの映画上映会などにも行ってみた。SEALDsはいい。彼らの主張には同意できないことが多いが、デモをすること自体には反対しない。(その後の「市民連合」の活動には否定的だが。)しかし、彼らをヒーローのように祭り上げてリベラルぶった顔をして、自分の主張を押し付けてくるリベラル風情なアーティストもどきの皆さんに本当に嫌気がさしている。「選挙に行こう!」なんて軽く言ったり、「戦争反対」と国会前で叫ぶことはぼくにはできない。

ぼくは彼らよりも長く政治に深い関心を抱いてきたし、勉強もしてきたと思う。ぼくの祖父は警察官だったので、かなり早くに徴兵され日中戦争に従軍していた。身体が弱かったが、長いシベリア抑留生活も生き抜いた。そして、帰国して生まれたわたしの両親は、バリバリの全共闘世代である。その子どもであるわたしは当然、両親への強い反発心をむき出しにしていたが、彼らは福祉関係の仕事に従事し最後まで自分の理念を通した。この点においては、敬意を持っている。両親共に東京の私立大学を卒業した共働き家庭に育った「田舎のインテリ」としてのぼくは、東京に出てからもその政治的趣味を捨てることができるはずもない。政治については学校でも勉強したし、プレカリアート運動のデモを見に行ったりもしている。しかし、全共闘の息子は、軽々とデモの内部に入ることなどできない。そういう葛藤の中で生きてきた。今でもそうだ。そんなぼくに向かって「選挙に行こう!」などと言ってくるアートも政治も中途半端な方には、「オレはお前に言われなくても行く。しかし、お前のようなバカは選挙に行くな。」と言いたくなるのだ。(もちろん、直接言ったことはない。そういう気持ちになるだけだ。)

「現在戦争画展」でも、上記のような主張をする方がいたら面倒だなと思っていたのだが、その必要はなかった。すでにキャリアを積んでいる彼らは、自分たちが築いてきたスタイルを崩すことなく、作品を制作していた。しかし、それを「戦争画展」と呼ぶことには躊躇いがある。

展覧会に際して作家が書いたテキストが配布されていた。そこにはほとんど戦争と関係ないように思われるテキストが並んでいる。フェミニズム(谷原菜摘子)やスマートフォン(藤城嘘)や石膏像(金藤みなみ)などについて、各々の作家が自説を述べている。それらは、一見戦争と無関係に見える。しかし、テキストと同時に作品を注意深く見れば、奥深くで確かにつながっていることが了解される。そして、どれもなかなか興味深い論点を提供してくれていることに違いない。

それでも、それらは戦争自体とは関係なく、戦争を自作のコンセプトの「ネタ」にしているだけだ。政治的な立場から彼らの態度を批判することは容易いが、わたしは芸術を観賞するものとして、彼らの態度を評価したい。アーティストは戦争を「ネタ」にしてしまう。そして、政治的な主張を無視して作品を制作できてしまう。だから、本当に戦争になったとき、「彼ら」は喜々として聖戦美術画を描いた。[★3]いまわたしたちと同時代を生きるアーティストたちも「彼ら」と同じだ。もし、本当に戦争が起きたら、彼らもまた喜々として描くだろう。わたしたちは、それを否定することはできない。つまり、芸術の制作とはそもそもポリティカル・〈イン〉コレクトなのだ。これを認めなければ、芸術を観賞することはできない。逆に言えば、芸術はインコレクトなものを確保する場なのだ。

この点において、参加作家たちは、現在の即物的な時代状況を無視して、自らの関心に「戦争」というテーマを取り込み、自分勝手な解釈で、自分のスタイルを貫き通している。この点において、現在戦争画展は大変清々しい展示だった。

さて、いくつか個別の作品に言及しておこう。

まずは中島晴矢くんだ。TAV Galleryで個展を開催している作家である。2020年に向けて東急を中心に渋谷が大きく変わる。その広告を元にしたパロディ絵画”VIVID”だ。それはオリンピックへの批判でもあり、そのまま国家への疑義となると同時に、現代のカルチャーに対するアンチでもある。現在の状況そのものにコミットした作品を提示したのは晴矢くんだけだった。その態度は、アーティストというよりもアクティビストに近い。本当は彼もピュアなアーティストになりたいのだと思う。しかし、彼の出自がそうすることを許さない。(この点にわたしは猛烈にシンパシーを覚えている。)確かに、一つの作品として完成されているとは言えない。モノとしての作品よりもコンセプトが優先しているために、作品としての魅力が半減しているように見える。彼の作品は、今は評価されないかもしれない。しかし、このアクティビティを続けていれば30年後には必ず評価される。時間がかかるがぜひそのまま作品を作り続けて欲しい。[★4]中島晴矢の作品についての批評を書きました。戦争画を「自然状態を描いた風景画」と定義する論考です。
「自然、風景、戦争」
http://hanapusa.com/text/critic/stateofnature.html

次に、林千歩の”戦争映画を観るために座って学んだ時間”。中島晴矢とは全く逆のスタイルだ。中島は林のような生まれながらのアーティスト(ただの天然とも言う)に嫉妬しているだろう。わたしは林との付き合いもかなり長くなったが、彼女は昔も今も驚くほどものを知らない。多分、人生で完読した本は2冊くらいだと思う。いや、ほんとうに。[★5]このブログを読んだ林千歩からLINEメッセージが届いた。彼女はわたしの想像を安々と超えてゆく。
「去年から文字の本を初めて読みはじめたのだけど、完読したことある本は今のところ0冊です!笑
なかなか慣れてないと最初ってキツイですね´д` ;
ちなみに読みたいという気持ちだけはあるので、実は友達地獄もあの後すぐに買いました。
少しづつ勉強がんばりまする!」

そんな彼女は、この機会に戦争の歴史を勉強することにした。TSUTAYAの検索機で「戦争」と入力し10本の映画を借りた。その映画を下半身裸で粘土の上に体育座りをしながら観賞する。そして、映画を見ながら考えたことを、その粘土の上にドローイングする。展示されていた作品は『ビルマの竪琴』を観賞したものだった。灰色に塗られた下地にセリフと思しき文字や、あの印象的なオウムが描かれている。(林は鳥が好きだ。前映像作品では鳥研究家に扮していた。)たしかに、そのドローイングが醸し出す雰囲気は『ビルマの竪琴』っぽいのだ。しかし、その形はお尻そのもの。人間の生死をかけた戦争でしか体験できないだろうエロスがそのまま現れている。コンセプトはずぶずぶだが、モノを見ればその完成度の高さに唸る。林らしい作品だ。さて、10作の映画の中には『ぼくらの七日間戦争』と『妖怪大戦争』も含まれていた。これらの映画を見て林は何を思うのだろうか。「まちがえた。。。」と思うだろうか。借りるときにジャケットの説明を読めば分かるような気もするのだが。。。個人的には『プラトーン』を観賞して制作した作品を見たい。[★6]最後にもう一点。この作品で何よりも重要なことは「体育座り」である。ウィキペディアでヒットしたところでは、体育座りという言葉は昭和40年代以降になってようやく非公式の文書に登場するらしく、かなり新しい言葉でかることが分かる。しかし、体育は国民国家にとって極めて重要な科目だった。近代国家の国民は、何よりもまず兵隊として機能しなければならない。国民になるには、まずは体育で身体を訓練する=管理されるようにならなければならない。[★7]
こうした要素をさらりと作品に入れ込んでくる林の勘の良さにはいつも感服する。そう、ブルマーを脱いだ林の生尻は、国民国家に放屁しているのだ。[★8]この点から見れば、林千歩の作品と合わせて展示されるべきは、会田誠の『ミュータント花子』である。奇作でありながら、超のつく名作である。これを見ずして戦後は語れない。と言いたくなる作品だ。ちょうどTAV Galleryのおとなり、Chim↑Pomが運営するGARTERで見ることができる。
大江泰喜、会田誠「原爆が 落ちる前 落ちた後」展

[★9]読み返していて思い出した。この林の作品は、宮台真司氏が日本の外交を批判する際に使用する名言そのものだと。曰く、アメリカの穴舐め外交。

二人について長く書きすぎた。疲れてきたので、あと数名の作品について簡単に触れて終わる。

遠藤一郎はただカンボジアの地雷地帯を延々と歩くだけの映像作品。一郎くんのテーマである移動と、彼の深刻さがストレートに出ていてよい。こういうとき、彼は「未来へ」なんて叫ばない。ただ、はあはあと息をするだけである。

盟友じゃぽにかは、ドラゴンボールの登場人物と初音ミクを掛けあわせたキャラの絵画”ミクゴクウ”。「もし悟空がベジータではなく、初音ミクとフュージョンしていたならば。」とのこと。ぼくらの世代には大変ぐっとくる内容だが、もはやおっさんの昔語りでしかないのではないか疑惑が再浮上。

谷原菜摘子は、黒のベルベットにペインティングを描く京都在住の作家だが、今回は赤のベルベットに、乳房を切り落とした自画像”I”m not female”を描いている。ここまでストレートな彼女のセルフポートレートは初めて見た。戦争というテーマをフェミニズムやLGBTと結びつけることは危険でもあるのだが、彼女にとって大変切実なテーマであることは作品から十分に伝わってきた。

最後に李晶玉の「ゼロ」。小さな戦闘機に乗った少年が鉛筆で描かれており、その後ろに真っ青な空がある。[★10]青年に見えた人物像は、自画像だそうである。この空の青さ。まさに聖戦美術画のそれである。唯一、彼女の作品だけは、「戦争画」と呼ぶに相応しい。彼女の祖国は未だに公式な「戦争」の最中にある。


urauny個展 “pop up store”

■場所:meee gallery
■期間:2016年8月5日(金)〜17日(水)
http://www.meee.jp/

urauny "pop up store"

今年3月に開催された個展”web or die”で初めて知った作家である。Twitterで流れてきた画像を見てすぐに行くことにした。まずタイトルが素晴らしい。画像を見るとフォトジェニックでありながら、実物を見なければならないという気にさせる要素が散りばめられている。明らかに作為的なインスタレーションだと分かる。実際に現場で見て、本人と話すことができた。大変よく考えられた作品であることが彼の説明からよく分かった。また、一見クラブピープルの単なる遊び人に見えるのだが、遊びからも学びを得ている。社会性もある。何より、本人がとても魅力的な男だった。

ようするに、uraunyというアーティストに惚れてしまったのである。(恋愛的な意味ではない。)

urauny "web or die"

今回の展示はSOTREという場所をテーマにしたそうだ。基本的に、URLが刻印されたペンダントを売るためのウィンドウディスプレイとしての展示になっている。ペンダントは実際に購入可能だ。わたしも購入してさっそくURLをスマートフォンに打ち込んだ。すると、LINEの自分のアカウントにつながった。ただ、それだけである。このペンダントは、軍隊の映画に出てくるような(林千歩が見た映画にたくさん出てきたに違いない)兵隊がつけているものだ。これはIDとして機能するわけだが、個展会場で売られているペンダントのURLは端末の持ち主のLINEアカウントにつながってしまうため、どこにも行きつけない。日常生活のそこかしこに散らばる死体はすべて「わたし」なのである。そして、STOREもまたわたしなのだろう。ギャラリーのある中野区新井の商店街にはまだ古き好き人間関係があるように見えた。しかし、わたしたちの購買行動を振り返るとどうだろう。Amazonと楽天に慣れてしまったわたしたちは、肉屋で生々しい肉塊を購入しながら、子どもについての世間話などできるだろうか。

と、なかなか考えさせられる展示になっている。しかし、”web or die”ほどのインパクトはなかった。いまは自ら修行期間と位置づけてさまざまな制約のある場所で展示をしているそうだ。その行動は正しい。しかし、それを長く続けると本当に作品アイディアが萎んできてしまう。uraunyくんには常に500万円の制作費があったら何を作れるかと考えておいて欲しい。美術館で個展をさせたら一体何をするのだろうか?と想像するととてもワクワクする作家だ。これからも見続けたい。

References

References
1 ■会田家檄文撤去騒動
美術館はだれの場所?『ここはだれの場所?』展の会田家作品に撤去・改変要請
会田誠・会田家の作品撤去・改変騒動から考える、美術館と子どもの問題
会田誠さんの撤去要請された作品「檄」は何を訴えているのか(全文)
※その他にも多くの記事があります。検索してみて下さい。
■Chim↑Pom「耐え難きを耐え、忍びがたきを忍ぶ」展
http://chimpom.jp/artistrunspace/10thann.html
2 MOTアニュアル2016 キセイノセイキ
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4 中島晴矢の作品についての批評を書きました。戦争画を「自然状態を描いた風景画」と定義する論考です。
「自然、風景、戦争」
http://hanapusa.com/text/critic/stateofnature.html
5 このブログを読んだ林千歩からLINEメッセージが届いた。彼女はわたしの想像を安々と超えてゆく。
「去年から文字の本を初めて読みはじめたのだけど、完読したことある本は今のところ0冊です!笑
なかなか慣れてないと最初ってキツイですね´д` ;
ちなみに読みたいという気持ちだけはあるので、実は友達地獄もあの後すぐに買いました。
少しづつ勉強がんばりまする!」

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8 この点から見れば、林千歩の作品と合わせて展示されるべきは、会田誠の『ミュータント花子』である。奇作でありながら、超のつく名作である。これを見ずして戦後は語れない。と言いたくなる作品だ。ちょうどTAV Galleryのおとなり、Chim↑Pomが運営するGARTERで見ることができる。
大江泰喜、会田誠「原爆が 落ちる前 落ちた後」展

9 読み返していて思い出した。この林の作品は、宮台真司氏が日本の外交を批判する際に使用する名言そのものだと。曰く、アメリカの穴舐め外交。
10 青年に見えた人物像は、自画像だそうである。