今日はわたしの父、花房香の名言について書こうと思う。
わたしの母、花房恭子は人生の名言を語る。[★1]先日、深夜のHUBで母の名言を話していたら、正面で聞いていた多田恋一朗が泣いていた。学生時代は夏目漱石研究がしたかったそうだから、いまでも文学少女っぽい感性があるのだと思う。一方、先日のオキュパイ・スクール受講生の中でマルクスやSANAAよりも知名度が高かった父はアートに関する名言を色々と語ってくれた。その多くは彼が先人から継承した言葉だった。
彼は1969年に法政大学に入学した。この年は東大合格者がゼロだった。1月に東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠したことが原因で入試が見送られたのだ。[★2]
今日はこれ以上、彼の「時代」に触れることはやめよう。(いずれ嫌というほど語ることになるだろうから。)火炎瓶のオイルの臭いが血の臭いに変わるころ、彼は岡山のど田舎から上京した。
法政大学文学部哲学科。授業などほとんどなかった。最近の大学では必ず15回の講義が行われるそうだが、その頃の大学は前期が始まって新入生歓迎をしているので1回目の授業は休み、2回目はガイダンス、そうしているうちにゴールデンウィークになるのでお休み、5〜6月は授業があっても先生は酔っ払ってくるわ、途中で授業を切り上げるわ、そもそも半分は休講にするわで、数回授業をしたら試験だったらしい。もちろん真面目な教授もいたと思うが、往々にして記憶に残るのは「落ちこぼれ」の教授たちだ。そんなのんびりした講義を羨ましくも感じるわけだが、大人数の講義は「マスプロ」と言って学生に批判された。[★3]Wikipedia:マスプロ大学講義スタイルだけではない、学生は片っ端からすべてを批判し、否定した。
法政大学文学部哲学科なんてゴリゴリもいいところなのだが、彼は「シラケ世代」を先取りしていたらしい。勉強するでもなくしないでもなく、バイトに明け暮れるでもなくそこそこバイトをして、たまに学校に行っていた。
今では現代アートコレクターとして知られているのだと思うが、彼は美術専攻ではない。それでも、やはり美術は好きだったようで、矢内原伊作先生の授業を受けていたらしい。[★4]若い方にも分かるように言えば、「ジャコメッティのマブダチ」の授業を受けていたことになる。羨ましい限りである。
矢内原先生の授業は講義だけでなく、美術館に一緒に行くことがあったそうだ。たぶん東京国立博物館だったと思う。矢内原先生が呟いた。
古いものはいいね。なんでいいんだろう。
美術館で古いものを見たとき、わたしはいつもこの矢内原先生の言葉を思い出す。わたしは彼に会ったことはない。しかし、東京国立博物館にいるとき、わたしは矢内原先生が作品を観賞しがらゆっくりと進む、その背中を追いながら彼の呟きを聞き逃さないように横目で先生の位置を確認する。
古いものはいいね。なんでいいんだろう。
彼の呟きを反芻する。これがわたしにとっての東京国立博物館での観賞体験だ。そして、これが芸術の本質だと感じる。父を通して隔世遺伝した矢内原伊作の複製子としてのわたし。[★5]この点について、先日のオキュパイスクール2016春バージョンで詳しくレクチャーした。参考文献をあげておく。
このようにして芸術の血が継承されて来たのだろうし、これからも継承されていくだろう。
そう。
「古いものはいいね。なんでいいんだろう。」
矢内原先生が呟くとき、彼の茶色いコートは鮮血に染まっている。しかし、それはまた別の話。[★6]
References
↑1 | 先日、深夜のHUBで母の名言を話していたら、正面で聞いていた多田恋一朗が泣いていた。 |
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↑2 | |
↑3 | Wikipedia:マスプロ大学 |
↑4 | |
↑5 | この点について、先日のオキュパイスクール2016春バージョンで詳しくレクチャーした。参考文献をあげておく。 |
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