中島晴矢くん宛てに、手紙を書きました。
現在戦争画展でのトークの司会お疲れ様でした。イベントの登壇者には、できたことよりもできなかったことを数えてしまうことがよくあります。いま、晴矢くんもその状態にあると思いますが、1時間遅れて行ったわたしは、期待以上のものが見れたと満足しています。[★1]現在戦争画展については以下を参照。
現在戦争画展、urauny
さて、わたしは戦争画を風景画としてとらえた質問をしました。風景という言葉を使ったのは晴矢くんを批判するためです。そのことについては、飲み会でも話したので、よく分かってくれていると思います。ただ、風景という言葉使いは晴矢くんに合わせすぎたものだったという反省もあり、わたしの考えを少し詳しく書くことにしました。
突然ですが、話は飛びます。
この夏、久しぶりに直島に行ってきました。[★2]ベネッセアートサイト直島わたしは岡山出身で、アート好きの家庭に育ったので、直島にベネッセハウスができたときから何度も訪れています。ベネッセハウスミュージアムでの最初の展覧会の際に宿泊したのですが、独占状態で展示を見れた記憶があります。わたしが小学校低学年のころです。そのときから比べると直島は想像もできないほどの一大観光地になりました。中でも、よく見る「風景」が草間彌生の黄色いかぼちゃと瀬戸内海と島々です。
この黄色いかぼちゃの前で記念撮影をするための長蛇の列の様子を撮影した画像が、直島在住の写真家の岡本雄大さんによってFacebookにアップされていました。これを見た、前地中美術館館長で現在金沢21世紀美術館館長、東京藝術大学大学美術館館長などを務められている秋元雄史さんが、「不思議なものですね。」とコメントされていました。[★3]秋元さんは「できたばかりのころは想像できなかったけれど、今では長蛇の列ができるようになるとは、不思議なものだ。」と振り返られたのだと思います。しかし、わたしは違う意味で不思議だと思ったのです。
当時こそ、家プロジェクトなどの作品はなかったものの、いまでは直島の島内には、一日では見きれないほどの美術館や作品があります。それにもかかわらず、なぜこの黄色かぼちゃ(宮浦港には赤いかぼちゃもあります)が撮影スポットとして一番人気なのか?ずっと考えていたのですが、久しぶりの直島と牛窓芸術祭のディレクターとなった経験から、理解できるようになったのです。
直島へは岡山の宇野港からフェリーで約20分。あっという間です。その間、フェリーの屋上に登って瀬戸内の風景を撮影するのがお決まりです。何度もフェリーに乗車しているわたしも例外ではありません。イタリアから来たらしい観光客に混ざって、瀬戸内の風景を撮影しました。ほんとうに素晴らしい風景です。亡くなられてしまいましたが、若いころから海外を旅してきた作家の宮脇愛子さんは「この風景は世界中どこにもないのよね。」と仰っていたそうです。瀬戸内に住んでいると気づかないのですが、たしかにあの風景は世界のどこにもないものです。
わたしはいつも通り、手応えのないiPhoneのシャッターを押して、Twitterに画像を投稿しました。そして気づいたのです。空の美しさに。生で見ていると気づかないんです。画像で見てはじめて、空に3つの飛行機雲?がかかり、地平線の向こうを想像させる絶景がそこにあることに気づいたのです。
直島は岡山の宇野港から近く、目の前に見えています。しかし、何度行っても、フェリーから見ているうちはどれが直島なのか混乱します。同じように、牛窓の前に連なる島々を地元の方に何度も教えてもらっているのですが、どれがどの島なのかなかなか判別がつかないのです。2年以上通ってやっと最近判別できるようになってきました。
つまり、瀬戸内の島々はわたしの眼を狂わせるのです。おそらく遠近が失われるのではないかと思います。生の眼だけでは咄嗟には把握できない自然。画像を通してはじめて現れる風景。
しかし、生の眼と自然の間に黄色いかぼちゃがあるとどうでしょう。黄色いかぼちゃによってわたしたちは風景を把握することができるようになります。かぼちゃを通してはじめてわたしたちの前に風景が現れるのです。しかし、なぜ黄色いかぼちゃなのか。それは、ビビッドな黄色の自然に対する異物感とその大きさが関係しています。黄色のビビッドさと対照されるように、島々の深い緑と、海の紺、そして海面に反射する光が見えてきます。加えて、黄色いかぼちゃは2メートル強の大きさ、つまり人間より少し大きいくらいです。その大きさは、人間のスケールと自然のスケールの中間にあって、眼と自然を仲介してくれるのです。そして、わたしたちはそれを風景として了解します。
自然は象徴に媒介されることではじめて、風景として現れるのです。
トークの現場では、これをラカンの想像界/象徴界/現実界という言葉を使って説明してみました。[★4]
ここで戦争画と繋がります。わたしはずっと戦争画が物語ではなく、風景として描かれていることが不思議でした。[★5]しかし、黄色いかぼちゃのことを考えれば理解できるのです。
戦争は自然として現れるのではないでしょうか。そして、その自然は平常な状態では、把握することができない。だから、そのまま風景画のようなものとして描かざるを得ない。ところが、当然ながら戦場に黄色いかぼちゃはない。だから、淡々とした風景画として、しかしパースもバルールも狂った未完のリアリズムとして描くしかないのではないかと。
すぐにこのような批判がくるでしょう。すなわち、戦争は自然ではないと。確かにその通りです。自然が戦争を引き起こすわけではない。戦争は極めて人間的なものです。そこで、自然を「自然状態」と読み換えてはどうでしょうか。政治哲学では「自然状態」をいかに捉えるかによって哲学者の思想を理解することができると言っても過言ではないほど重要な概念です。[★6]自然状態については以下の本がよくまとまっている。ここから気になった本を岩波文庫で読むとよいと思う。
一番有名なのはトマス・ホッブズの「万民の万民による闘争」ですね。[★7]
政治哲学的な理解から言えば、わたしはホッブズの「自然状態」概念に疑問があるのですが、ここでは「自然状態」が人間の闘争としても捉えることが可能だという点が重要です。つまり、風景画が自然を描いたものであるとするなら、戦争画は自然状態を描いたものなのではないかと言ってみたいのです。
自然状態は、生な現実としてわたしたちの眼に現れます。しかし、その遠近が掴めない。それでも、できるかぎりその現実を見ようとする。しかし、そこには黄色いかぼちゃがない。だから、いわば「未完のリアリズム」になってしまうのではないか。[★8]未完のプロジェクトとしての近代は、SNSを通じて大衆が発言できるようになった現在、想像しえなかった完成に近づいているのではないか。そうであるならば、未完のリアリズムもまた完成に近づいていることになる。そう、ドナルド・トランプのリアリズムとして。
ここから、様々な発想が生まれます。晴矢くんの作品”VIVID”は渋谷の風景を描いています。たとえば、メタボリズム運動のように都市を自然と見れば、これも「自然状態」を描いたと言えるかもしれない。また、藤城嘘くんのスマートフォンもやはりアーキテクチャの自然ならぬ「自然状態」を描いた作品と言えるかもしれない。[★9]布施琳太郎の”Norms painting”は不可視の自然状態をくしゃくしゃに丸める自慰行為として肯定されるのかもしれない。
昨日のトークでわたしが敢えて「風景」という言葉を使ったのは、柄谷行人の『日本近代文学の起源』を元にして晴矢くんの近代主義的態度を批判しようとしたからでした。そして、飲み会で国木田独歩の『武蔵野』について語る晴矢くんを見て、あと3日くらい話し続けたいと思いました。[★10]昨日は晴矢くんの文脈に乗りましたが、今度はわたしの文脈に乗って下さい。このテーマこそ、わたしにとってもっとも現在的なものです。[★11]それは、わたしにとってChim↑Pomの言葉を共有することを意味する。
「あの日、広島の空をピカッとさせるため、僕たちはかつてないほど空を眺めた。
空は綺麗で、目の前には原爆ドームがあった。あんまりだと思った。
これが僕たちの生きる時代だと思った。」
(Chim↑Pom・阿部謙一編著『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』2009年、河出書房、p.17)
戦争画とは、自然状態を描いた絵画である。
P.S.
この手紙は美学校校長、藤川公三氏に読んで頂くためにアップされた。
References
↑1 | 現在戦争画展については以下を参照。 現在戦争画展、urauny |
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↑2 | ベネッセアートサイト直島 |
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↑6 | 自然状態については以下の本がよくまとまっている。ここから気になった本を岩波文庫で読むとよいと思う。 |
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↑8 | 未完のプロジェクトとしての近代は、SNSを通じて大衆が発言できるようになった現在、想像しえなかった完成に近づいているのではないか。そうであるならば、未完のリアリズムもまた完成に近づいていることになる。そう、ドナルド・トランプのリアリズムとして。 |
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↑11 | それは、わたしにとってChim↑Pomの言葉を共有することを意味する。 「あの日、広島の空をピカッとさせるため、僕たちはかつてないほど空を眺めた。 空は綺麗で、目の前には原爆ドームがあった。あんまりだと思った。 これが僕たちの生きる時代だと思った。」 (Chim↑Pom・阿部謙一編著『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』2009年、河出書房、p.17) |